ウイスキー検定対策塾
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【問51解説】
正解
③アイルランドは通貨はユーロを採用しており、単位はメートル法を採用しています。
但し、イギリスとの歴史的つながりから、長さの単位:インチ(1inch=2.54cm)、距離:マイル(1mile=1.61km)、ビールでよく使う容量:パイント(1pint=568㎖)、重さ:ポンド(1lb=453.6g)も日常的に使われています。

間違い
①アイルランド島は、ヨーロッパで3番目に大きな島で、面積は84,412㎢。北海道(面積:83,424㎢)に北方領土を足し合わせた面積にほぼ等しく、世界では20番目に大きな島である。グレートブリテン島の北部3分の1を占めるスコットランド(面積:78,772㎢)よりも、少し大きい。
②北アイルランドの首都は「ベルファスト」、アイルランドは「ダブリン」なので、コークは間違いです。
④アイルランドも北アイルランドも、守護聖人は同じセントパトリックです。
⑤ジャイアンツコーズウェイは北アイルランドのブッシュミルズ蒸留所から約4.2Km北に位置します。一方、アイルランド島で最も有名な先史時代の遺跡である「ニューグレンジ」は、アイルランド・ミース県に位置し、スレーン蒸留所から約5.9km東にあります。

※イギリスはEU加盟国でしたが、通貨は独自通貨(ポンド)を使っていました。EU連合に加盟していても通貨統一(ユーロ)を使用していない国があります。
※スコットランドでは通貨はイギリスの通貨単位のポンド同じですが、スコットランド銀行が独自の紙幣を発行しています。英国各地で広く使われますが、使用を拒否する店もあります。しかしながら、スコットランドでイギリス紙幣を使うことに問題はありません。<br>※北アイルランドでも同様に北アイルランド銀行が独自の紙幣を発行しています。英国各地で広く使われますが、使用を拒否する店があるかもしれません。北アイルランドの繁華街ではユーロも使えます。
但し、貨幣はイギリスの貨幣のみが用いられています。アイルランドの通貨とは異なります。
※北アイルランド紙幣やスコットランド紙幣をイギリス紙幣に交換することは英国のどの主要バンクでも可能です。英国を発つ前に北アイルランド紙幣やスコットランド紙幣を使い切るか交換しておきましょう。他の国では交換できない可能性もあります。






【問2解説】
「アイルランド自由国」は、1922に成立した自治領アイルランドの名称。アイルランド32州のうち、26州が「アイルランド自由国」としてイギリスから分離されました。1916年のイースター蜂起に続く1918年の総選挙で、シン−フェイン党が大勝してアイルランド議会をつくり独立を要求。イギリスは、アイルランド島北東部地方のアルスターを分離する自治法を発布したが、シン−フェイン党はこれを認めず、2年余の内戦となったが、1922年イギリスの妥協案をいれ、アイルランド自由国が成立した。自治領とはいっても、総督の存在を認め、外交・貿易・軍事などの実権をイギリスに握られていた。1937年エール共和国を経て、1949年にアイルランド共和国となった。

【テキスト:P114】【新版テキスト:P128】



【問3解説】
アイルランド島は、元々32の行政区(County)からなっていましたが、1922年に、南部の26のカウンティがイギリス(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)から分離して立憲君主制国家であるアイルランド自由国が成立しました。北部の6のカウンティは北アイルランドとしてイギリス(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)に属しています。






【問4解説】
アイリッシュウイスキーは、アイルランドの1980年アイリッシュウイスキー法第1条によって以下のように規定されています。スコッチと違い、熟成の際の樽材はオーク樽でなくても木樽であれば何でも良いので、④が正解となります。

・穀物類を原料とする
・麦芽の酵素ジアスターゼで糖化(低分子の糖類に変化)させる
・酵母の働きで発酵させる
・蒸留液はアルコール度数94.8%以下で蒸留
・容量700ℓを超えない木製樽に詰める
・アイルランド、もしくは北アイルランドの倉庫で3年間以上熟成させる(移動した場合は両方の土地での累計年数が3年以上)

※アイリッシュのグレーンウイスキーは、スコッチと同様にトウモロコシや大麦、小麦などを主原料として連続式蒸留機で蒸留しますが、ポットスチルを使うことも可能です。
ただし、メインは連続式蒸留機です。また、ポットスチルを使った場合、「アイリッシュ・ポットスチルウイスキー」と区別できないため、大麦麦芽の使用は30%未満と決められています。
逆に、「アイリッシュ・ポットスチルウイスキー」は、グレーンウイスキーと区別するため、「大麦麦芽と未発芽の大麦がそれぞれ30%以上、それ以外の穀物は5%未満」と原料の比率が決められています。



【問5解説】
下図参照


 


【問6解説】
下図参照
 

 


【問7解説
下図参照
アイルランド島の緯度が、ロンドン(イングランド)とエジンバラ(スコットランド)のほぼ間に入っていることを知っていれば、選択肢を絞り込めますね。




 



【問8解説
正解
アイリッシュウイスキーは、
(1)ポットスチル・アイリッシュウイスキー、
(2)モルト・アイリッシュウイスキー、
(3)グレーン・アイリッシュウイスキー、
(4)ブレンデッド・アイリッシュウイスキー
の4つに大別されます。スコッチと同様に、1つの蒸留所で造られたものには、"シングル"の呼称がつけられますので、①は正解となります。

間違い
②ポットスチルウイスキーは、かつては「ピュア・ポットスチルウイスキー」とか、「シングル・ポットスチルウイスキー」などと呼ばれていましたが、2014年のIWA(アイリッシュウイスキー協会)により「アイリッシュ・ポットスチルウイスキー」という名称に正式に定義されました。単式蒸留器を使ったバッチ蒸留を行い、蒸留回数は2回でも3回でも構いません。

③元々、アイリッシュウイスキーにはブレンデッドは存在しませんでしたが、1970年代以降、スコッチに対応するため、モルトとグレーンをブレンドするアイリッシュブレンデッドが誕生しました。現在は、法改正で、モルトとブレンデッドウイスキーを混ぜたもの以外に、ポットスチルウイスキーとモルトウイスキー、ポットスチルウイスキーとグレーンウイスキー、そして、ポットスチルウイスキーとモルトウイスキーとグレーンウイスキーの全てを混ぜたものもブレンデッドアイリッシュウイスキーと呼ぶことが可能となりました。

④グレーンウイスキーに関しては、単式蒸留器を使った場合、上記の「ポットスチルウイスキー」と区別できないため、大麦麦芽の使用が30%未満 と決められています。

⑤③に記載した通り、ポットスチルウイスキーとグレーンウイスキーを混ぜたものもブレンデッドと呼べます。



【問9解説
順番に確認すると、
ⓐポットスチルウイスキーはポットスチルを使った単式蒸留(バッチ蒸留)をしないといけないので、これは正しいです()。

ⓑポットスチルウイスキーの原料混合比率は、モルトとバーレイが30%以上、その他の穀物の合計が5%以下と定められていますので、これは間違いです(×)。

ⓒⓑに記載通り、その他の穀物の合計は5%以下と定められていますので、これも間違いです(×)。

ⓓアルコールの度数は、スコッチと同様に上限94.8%ですので、これも間違いです(×)。

ポットスチルウイスキーの大麦麦芽はノンピートであることが義務付けられています。つまり「アイリッシュ・ポットスチルウイスキー」と名乗るものにピーティなウイスキーは存在しないわけです(ピートを焚くアイリッシュで有名なカネマラなどはここには属しません)。従って、これは正しいです()。

ⓕポットスチルウイスキーの場合、単式蒸留器を使ったバッチ蒸留であれば、蒸留回数は2回でも3回でも構いません。従って、これば間違いです(×)。



【問10解説】






【問11解説】
ジョン・パワーズはアイリッシュ・ウイスキーの有名銘柄で、地元アイルランドで人気高く、そのパワーズを造っていたのがジョンズ・レーン蒸留所(John's Lane Distillery)です。
問題の写真は、旧ジョンズ・レーン蒸留所のポット・スティル写真で、最盛期には6基のポットスティルがありました。そのうちの3基が現在も残っていて、蒸留所敷地の中央の広場になっているところに野晒しの状態で置かれています。






【問12解説】
1885年頃、アルフレッド・バーナードは、ワインと蒸留酒の専門誌『ハーパーズ・ウィークリー・ガゼット』の秘書を務めていました。読者にウイスキー造りの歴史や説明を提供するため、バーナードはスコットランド、イングランド、アイルランドの全ての蒸留所を訪問することにしました。友人の案内で、150ヶ所以上の蒸留所を訪問しました。彼のレポートに登場する蒸留所の名前は、19世紀末以降に、その名声が薄れた蒸留所や、今日でも熱心なウイスキー通を唸らせる蒸留所があります。本書の魅力は、各蒸留所の製造工程に関する技術的な記述だけでなく、歴史的な色彩とディテールにあふれた彼の旅の描写にあります。本書は、スコットランドの国民的な飲み物の起源を知るための完全なガイドであると同時に、ヴィクトリア時代の生活と旅を生き生きと描いています。

因みに、アイルランド蒸留所については、以下の28ヶ所の記述があります(abc順)。
1)Abby Street Distillery
2)Avoniel Distillery
3)Bandon Distillery
4)Birr Distillery
5)Bishop's Water Distillery
6)Bow Street Distillery
7)Brusna Distillery
8)Bushmills Distillery
9)Coleraine Distillery
10)Dundark Distillery
11)John's Lane Distillery
12)Jones Road Distillery
13)Limavady Distillery
14)Limerick Distillery
15)Marrowbone Distillery
16)Midleton Distillery
17)Monasterevan Distillery
18)North Mall Distillery
19)Nun's Island Distillery
20)Phoenix Park Distillery
21)Royal Irish Distillery
22)The Glen Distillery
23)The Irish Distillery
24)The Lower Distillery
25)The Upper Distillery
26)Thomas Street Distillery
27)Tullamore Distillery
28)Waterside Distillery






【問13解説】
連続式蒸留機の発明者のひとりはロバート・スタイン(1826年に考案)ですが、現在も使われる蒸留機と同じ基本構造の装置を開発したのは、アイルランドの収税官だったイーニアス・コフィ―です。コフィ―は、1831年にアイルランドにおいて14年間の特許を取得したことから、パテントスチル、またはコフィ―スチルと呼ばれています。

【テキスト:P202】【新版テキスト:P234】



【問14解説】
順番に確認します。
①1987年にクーリー蒸留所を創業したのは「ジョン・ティーリング」氏。1940年代にアイルランド自由国政府(現アイルランド共和国)が建てた蒸留所の1つで、ジャガイモから工業用アルコールを生産する工場であった、国立のケミックトー蒸留所が売りに出されていることを知ったジョン氏が買い取り、ウイスキー蒸留所に改造しました。従って、"ジャック・ティーリング氏"というのは間違いです(×)。

②ポットスチルを設置して、1989年からウイスキー製造をはじめ、アイリッシュ初となるピーテッド麦芽を使ったカネマラは、クーリーの代表的製品となりましたが、ピート麦芽はスコットランドからの輸入です。従って、"アイルランド産"というのは間違いです(×)。

③貯蔵熟成においてはクーリー蒸留所内だけでなく、一部原酒をアイルランド中部に位置するキルベガン蒸留所でおこなっています。首都ダブリンから西へ車で約1時間半の場所にタラモアという街があり、そこから北へ10キロほどのところにある小さな村がキルベガンです。キルベガン蒸留所の前身は、特定されている蒸留所のなかで記録に残っている最古の蒸留所であるブルスナ蒸留所(1757年創業)です。1843年にロック家が買収し、ロック蒸留所となり、輝かしい時代もありましたが、1953年に創業を停止して以来そのままになっていました。クーリー社が1988年にロック蒸留所とキルベガンの商標オーナーとなり、貯蔵庫、そして歴史的価値の高いウイスキー博物館としても機能させ、さらに2007年からは小規模ながら蒸留を再開し、ブティック・ディスティラリーとしての人気を高めています。ブレンデッドウイスキーの「キルベガン」はブルスナ蒸留所時代の代表ブランドを復活させたものです。というわけで、③が正解です。

④クーリー蒸留所は、ジョン・ティーリング氏から、後に2011年にアメリカのビーム社の所有となり、ビーム社は2014年4月30日以降はサントリーホールディングスの傘下となっており、現在クーリー蒸留所はビーム サントリーの子会社となっています。なので、"ブラウンフォーマン社"という記載は間違いです(×)。

⑤クーリー蒸留所ではライウィスキーやポテーンは製造していません。なのでこれは間違いです(×)。





【問15解説】
グレートノーザン蒸留所は、クーリー蒸留所を創業したジョン・ティーリング氏が、2015年に立ち上げた蒸留所で、グレーンウイスキーを他社に供給するのが目的でした。
クーリー蒸留所をビーム社に売った資金を元に、ダンダークにあったギネスのビール工場をディアジオ社から買い取り、そこにイタリアのフリッリ社製の連続式蒸留機を導入し、2015年からグレーンウイスキーを造り始めました。元々この工場はグレートノーザン醸造所といって、アイリッシュラガーの「ハープ」を造っていました。蒸留所名はそのままビール工場の名前を継いでいます。

【新版テキスト:P141】



【問16解説】
ブッシュミルズ蒸留所は、北アイルランドのアントリムにあります。ブッシュミルズとは、アントリム郡にある町の名で"林の中の水車小屋"の意味です。1608年に州の領主、サー・トーマス・フィリップスが、イングランド王ジェームズ1世(スコットランド王ジェームス6世)から蒸留免許を与えられた由緒ある土地です。
ブッシュミルズは『世界最古のウイスキー蒸留所』の謳い文句で有名ですが、当時ブッシュミルズという名称の蒸留所が存在した記録はありませんので、厳密には"世界最古の蒸留免許が与えられた土地にある蒸留所"ということになります。

【テキスト:P124】【新版テキスト:P139】



【問17解説】
1885年の火災により焼失した後、スコットランドの著名な建築家のチャールズ・ドイグの設計により施設を一新しました。
1923年にベルファストの酒商のサミュエル・W・ボンドが買収しましたが、第二次世界大戦後、所有者が転々とし、1972年にIDG(アイリッシュ・ディスティラリー・グループ)の一員になり、北のウイスキーを一括して作るようになりました。1988年にIDGがフランスのペルノリカール社の傘下となりますが、2005年にディアジオ社に売却。2014年に突如ディアジオ社が売却を発表し、現在は、大手テキーラメーカーの「ホセ・クエルボ社」の所有となりました。
旧テキストには、まだ所有者がディアジオ社のままになっています。


【テキスト:P124】【新版テキスト:P139】




【問18解説】
2019年の第148回全英オープンゴルフ選手権は、7月18日(木)~7月21日(日)の間、北アイルランドの「ロイヤルポートラッシュゴルフクラブ」で開催されました。賞金総額:1億50万ドル(優勝賞金:189万ドル)。優勝者は、15アンダーでアイルランド・ウェストミーズ県マリンガー出身の「シェーン・ローリー(Shane Lowry、34歳)」、2位に6打差をつけての優勝でした。
日本からは、松山英樹、稲森佑貴、今平周吾、藤本佳則、浅地洋祐、池田勇太、堀川未来夢、金谷拓実(当時アマチュア)が参加しましたが、浅地洋祐の67位(+6)が最高順位でした。


シェーン・ローリー
写真出典:Wikipedia

※男子の全英オープンゴルフ選手権が開催された翌月(2019年08月01日-08月04日)にウォーバーンGC・マルケスコース(英国)で開催された「全英AIG女子オープン」で、同大会で日本勢42年ぶりにメジャー制覇を成し遂げ、一躍シンデレラガールになった渋野日向子の記憶は新しいですね。


写真出典:GOLF NET WORK



【問19解説】
現在の蒸留所が建てられたのは1784年のこと。但し、それ以前から密造は行われていたようで、1743年の密造の記録が残されています。創業当時の建物は1885年の火災により焼失しましたが、直後に施設を一新し、アイリッシュでは珍しいシングルモルトの蒸留所となりました。設計したのはスコットランドの著名な建築家、チャールズ・クリー・ドイグ(Charles Cree Doig)です。ドイグは、スコットランドにおける蒸留所設計の第一人者として知られており、パゴダ屋根(正式にはドイグベンチレータと呼ばれる)を発明し、1890年代の蒸留所急成長期に数多くの設計に携わりました。
因みに、ドイグが関わったモルトとグレーン蒸留所の正確な記録は残されていないようですが、100ともいわれています。
そのいくつかを上げると、
Glenburgie,
Dailuaine,
Lochside,
Talisker,
Aberlour,
Glenalbyn,
Balblair,
Longmorn,
Speyburn,
Glen Elgin,
Oban,
Dalwhinie,
Aberfeldy,
Coleburn,
Craigellachie,
Cragganmore,
Benromach,
Dallas Dhu,
Glen More,
Imperial,
Bushmills
などなどです。

ドイグの結婚式写真(1880年頃)

【テキスト:P124】【新版テキスト:P139】
参考・写真引用:稲富博士のスコッチノート



【問20解説】
キルベガン蒸留所は、アイルランド中部のキルベガンのブルスナ(Brusna)川近くに1757年にブルスナ(Brusna)蒸留所として設立され、1762年に創業を開始しました。キルベガンとはゲール語で「小さな教会」を意味します。1843年にジョン・ロックに蒸留免許が譲渡され、以降ロック―族の経営となったため、ロックス(Locke's)蒸留所の名で親しまれて来ました。

【テキスト:P126】【新版テキスト:P140】



【問21解説】
順番に確認します。
①キルベガン蒸留所は、アイルランド中部のキルベガンのブルスナ(Brusna)川近くに1757年にブルスナ(Brusna)蒸留所として設立され、1762年に創業を開始しました。当時はブルスナ蒸留所とも呼ばれていましたので、これは正しいです(〇)。

②キルベガンとはゲール語で「小さな教会」を意味します。1843年にジョン・ロックに蒸留免許が譲渡され、以降ロック―族の経営となったため、ロックス(Locke's)蒸留所の名で親しまれて来ました。従って、これも正しいです(〇)。

③1920年代まで、リバプールで人気のウイスキーとなっていましたが、1953年に製造は中止され、1957年には完全に閉鎖されました。閉鎖時には、3基のポットスチルがありましたが銅のスクラップとして売られてしまいましたので、これも正しいです(〇)。

④キルベガン蒸留所は、1953年に閉鎖されるまで一度も電化されたことがなく、動力は大きな水車を動かして得ていました。そのための水路がブルスナ川の上流から引かれ、巨大な鉄製の水車を回していました。ただし、夏の渇水期だけは2馬力の蒸気エンジンを動力源にしていたとのこと。造っていたのはポットスチルウイスキーで、キルベガンでは大麦、大麦麦芽、ライ麦、オート麦を混ぜて仕込みに用いていましたが、麦芽以外の穀物は硬くてローラーミルでは挽けないので、昔ながらの大きな石臼で粉にしていました。そのための石臼が3基、今でも動かせるように保存されています。

⑤現在はビームサントリー社の所有ですが、製品はモルトウイスキーのみではありませんので、これは間違いです(×)。









【問22解説】
グレートノーザン蒸留所は、クーリー蒸留所を創業したジョン・ティーリング氏が、2015年に立ち上げた蒸留所で、グレーンウイスキーを他社に供給するのが目的でした。
クーリー蒸留所をビーム社に売った資金を元に、ダンダークにあったギネスのビール工場をディアジオ社から買い取り、そこにイタリアのフリッリ社製の連続式蒸留機を導入し、2015年からグレーンウイスキーを造り始めました。元々この工場はグレートノーザン醸造所といって、アイリッシュラガーの「ハープ」を造っていました。蒸留所名はそのままビール工場の名前を継いでいます。

【新版テキスト:P141】




【問23解説】
前問解説のギネスの工場のある一帯は、かつてリバティー地区と呼ばれ、ビール工場やウイスキー蒸留所、それらに麦芽を供給する製麦業者が立ち並んでいました。
ダブリンのビッグ4と呼ばれた
①ジョージ・ロー(George Roe)のトーマス・ストリート(Thomas Street)蒸留所
②ジョン・パワーズ(John Powers)のジョンズ・レーン(John's Lane)蒸留所、
③ウイリアム・ジェムソン(William Jameson)のマローボーン・レーン(Marrowbone Lane)蒸留所、
もリバティー地区にあり、その対岸、リフィー河を挟んだ北側がジェムソンで有名な
④ジョン・ジェムソン(John Jameson)のボウ・ストリート(Bow Street)蒸留所です。
ジョンズレーン蒸留所が造る「パワーズ」と覇を競い合っていたのが、ボウストリート蒸留所が造る「ジェムソン」でした。しかし、20世紀以降、アイルランドの独立戦争や相つぐ内戦でウイスキー産業は衰退し、ビッグ4も次々と閉鎖となり、最後まで残っていたジョンズレーン蒸留所が閉鎖になったのが1976年で、それ以来ダブリンでは40年近く一滴のウイスキーも造られていませんでした。

「パワーズ」を造っていたジョンズ・レーンのポットスチル3基。ヘッド部分が釜の中央ではなく横についています。




【問24解説】
アイルランドのダブリン生まれで、アメリカのハーバード・ビジネススクールで学んだクーリー蒸留所を創業したジョン・ティーリング氏の2人の息子がアイリッシュ初のボトラーとして創業。その後、クーリー蒸留所がビーム社(現ビームサントリー社)の所有となったことで、将来的な原酒確保を目的として2015年にダブリンのリバティー地区に開設したのが「ティーリング蒸留所」です。


ティーリング蒸留所


ティーリング蒸留所のポットスチル






【問25解説】
下図参照




【問26解説】
順番に確認します。
ⓐタラモア蒸留所が創業したのは1829年で、マイケル・モロイが、肥沃で穀物の生産地だったオファリー州の中心都市タラモアのグランド・カナール(大運河)沿いに建設しました。1857年に蒸留所はマイケル・モロイから甥のバーナード・デイリー(Barnard Daly)に継承されました。従って、ロック家とは関係ないので、これは間違いです(×)。
ⓑ1862年に14歳のダニエル・エドモンド・ウイリアムス(Daniel Edmond Williams)少年が蒸留所で働くようになりました。馬小屋裏の藁のなかで寝泊まりしても良い、というのが給与の一部でした。ウイリアムスは仕事に励み、ウイスキーの製造に必要な技量を着実に習得していきました。デイリーの息子(名前は同じくバーナード)が会社を継ぎましたが、彼はウイスキーに興味がなく、ポロと競馬馬の飼育に熱中していたので、蒸留所はウイリアムスに任されるようになりました。ウイリアムスは蒸留所を近代化すると共に、1897年に自身の頭文字をつけて「タラモアデュー(Tullamore D.E.W)というブランドをつくりました。デュー(Dew)には「露」の意味があり人気を博しました。従って、これは正しいです()。

ダニエル・エドモンド・ウイリアムス

ⓒアイリッシュウイスキーの順位としては、1位ジェムソン、2位がタラモアデュー、3位がブッシュミルズの順で売上ているので、これは間違いです(×)。


ⓓ2010年にタラモアのブランド権を買収したのは、スコッチのグレンフィディックで有名なウイリアム・グラント&サンズ社で、権利が移ったことで再建計画が進み、60年間の閉鎖期間を経て2014年9月に新生タラモア蒸留所として蘇りました。従って、グレンフアークラス社は間違いです(×)。
ⓔ新生タラモア蒸留所には、かつてのタラモアのスチルをモデルにしたユニークな形の初留釜、バルジ型の後留釜、ランタンヘッド型の再留釜など計6基のスチルがあり、モルトウイスキーの他に、ポットスチルウイスキーも造っています。さらにその蒸留棟とは別に、巨大な連続式蒸留機も有し、グレーンウイスキーの製造も可能にしています。従って、2種類だけというのは間違いです(×)。


写真出典:Tullamore Dew Facebook
写真出典:tullamoredew Instagram



【問27解説】
順に

・スレーン ― ブラウンフォーマン社
・ランベイ ― ランベイ・アイリッシュウイスキー社
・パディー ― ペルノリカール
・カネマラ ― ビームサントリー社
パワーズ ― ペルノリカール



【問28解説】
下図参照






【問29説】
No.1アイリッシュウイスキーとして世界中で愛飲されている「ジェムソン」の歴史は、1780年に創業者のジョン・ジェムソンが、アイルランドの首都ダブリンの“ボウ・ストリート”にジェムソン蒸留所を設立したのが始まりです。ジェムソン ボウ・ストリート蒸留所は約200年稼働し続けた後に、ウイスキー製造の役目をアイルランド南部にあるコーク市のミドルトン蒸留所に譲りました。



【問30解説】
①ミドルトン蒸留所はコーク郊外のミドルトンの町に1825年、マーフィー3兄弟によって設立された蒸留所です。従って、パディー兄弟というのは間違いです(×)。

❷敷地の正面にある旧ミドルトン蒸留所は、現在ビジターセンター(ジェムソンヘリテージ)・博物館として利用されていて、ミドルトンの名称は新・旧を区別して表記されることが多くなっています。旧ミドルトン蒸留所で1975年3月まで使用されていたのが世界最大のポットスチルで、初留釜は約15万ℓの容量がありました。これはスコッチ最大のものの5倍以上の大きさです。
従って、これが正解となります()。

③容量約15万ℓの世界最大のポットスチルではグレーンウイスキーを造っていないので、これは間違いです(×)。

④コールレーン(Coleraine)の名前のは、1820年に北アイルランドのコールレーンに設立された「コールレーン蒸溜所」に由来します。かつて、”アイルランド No.1の蒸溜所”と評価された時代もありましたが、1978年に閉鎖されてしまいました。コールレーンは、旧ブッシュミルズ蒸留所で生産されているブレンデッドウイスキーです。従って、これも間違っています(×)。



⑤現在、ポットスチルは10基で、アイリッシュ伝統の3回蒸留を行っています。グレーンを造る連続式蒸留機も、近代的なアロスパス式と旧タイプのコフィー式の3セットが稼働しています。原料の比率や蒸留方法を変え、数十種の原酒タイプを造り分けています。年間生産量もグレーンを合わせると6,500万ℓ近くになり、アイリッシュウイスキー全体の7割近くを占めています。
旧ミドルトン蒸留所で稼働していたのと同じものは使用していないので、これも間違いです(×)。



【問31解説】
1981年の夏に初めての野外ロックコンサートがボイン川の畔にあるスレーン城で開催されました。毎年恒例となった一夜限りのそのロックコンサートに登場したのはU2のボノ達です。伝説となったこの野外コンサートを主催したのが、スレーン城の城主ヘンリー・カニンガム卿でした。その息子で次期城主のアレックス・カニンガム氏は、ウイスキーの蒸留所をつくり、人々にもっと城に来てもらおうと考え、アメリカのブランフォーマン社とパートナーシップを組み創業したのが、城の納屋を改造したスレーン蒸留所でした。
蒸留所がオープンしたのは2017年で、実際の蒸留は2018年からスタートしました。スレーン蒸留所のワンバッチは麦芽3トンで、現在造っているのはモルトウイスキーとポットスチルウイスキー、そしてグレーンウイスキーの3種類です。そのため、モルト、ポットスチル用に単式蒸留機が3基、グレーンウイスキー用に連続式蒸留機が1セット設置されています。ポットスチルは、全てスコットランドのマクミラン社製で、連続式はコフィータイプの粗留塔と精留塔ですが、建物の高さが足りないため3分割され、まるで6塔式のような形になっています。使用する樽も3種類で、ブラウンフォーマン社がスレーンのために作った、アメリカンホワイトオークの新樽と、同社のジャックダニエルの空き樽、オロロソシェリー樽です。スレーン蒸留所のブレンデッドウイスキーはアメリカ市場では人気のアイリッシュウイスキーになっています。


U2 - Beautiful Day (Live From Slane Castle,Ireland/2001)


1986年に開催されたクイーンのコンサート、10万人の観衆の前でフレディ・マーキュリーが歌っている様子

参考:土屋守,Whisky Galore,ウイスキー文化研究所,2021,5(3),p.30-31.





【問32解説】
「アイリッシュマン」「ライターズティアーズ」などを世界30ヵ国に販売するウォルシュウイスキーは、バーナードとローズマリーウォルシュ夫妻によって、1999年に設立された家族経営の会社です。2016年に、イタリアの飲料メーカーのイルヴァ・サローノ社と提携して「ロイヤルオーク蒸留所」をオープンしましたが、2019年にイルヴァ・サローノ社がウォルシュの全株式を買収し、同社の完全子会社としたため、パートナーシップを解消し、ウォルシュ氏は元々の会社を引き継ぐ形となりました。ロイヤルオークのホームページには、まだ具体的な製品が掲載されていませんが、初めてのボトルは、同蒸留所で造られたモルトウイスキー、ポットスチルウイスキー、グレーンウイスキーを3種類ブレンドし、イタリア・シチリア産のマルサラ樽で熟成した、シングルブレンデッド・アイリッシュウイスキー「バスカー(The Busker)」で、大道芸人という意味らしい。




シングルブレンデッド・アイリッシュウイスキー「バスカー」







【問33解説】
アイルランド南部のウォーターフォードは古くから栄えた港町で、元々10世紀にヴァイキングが築いた町です。現在はクリスタルなどガラス工芸の町としても知られています。その中心を流れるシェール川の畔に2003年に建てられたのが、ギネスの最新鋭のビール工場でした。しかし、ダブリン工場の拡張に伴い、10年後の2013年に売却を決定。それを2014年に買ったのが、マーレイマクダビッド社のマーク・レイニエー氏です。マーク氏は、アイラ島のブルックラディ蒸留所を復活させた立役者で、2011年にブルックラディがレミーコアントロー社に買収されたのを機に、アイラ島を離れ南アイルランドに渡って来たとのこと。ビール工場を改造して蒸留所としたのが2014年で、蒸留所は翌年に正式オープンしました。ウォーターフォードが造るウイスキーは、2基のスチルで、モルトウイスキーとグレーンウイスキーの2種類のみ。ブルックラディで実践してきたテロワールをさらに深化させ、アイルランドの97の農家と契約して、仕込みは全て農家別、品種別に行っている。ボトリングも農家別、品種別で、これを『シングルファーム・オリジン』と命名している。

<br>※テロワール(Terroir)とは、もともとは「土地」を意味するフランス語terreから派生した言葉で、ワイン、コーヒー、茶などの品種における、生育地の地理、地勢、気候による特徴を指す語である。同じ地域の農地は土壌、気候、地形、農業技術が共通するため、作物にその土地特有の性格を与える。ウォーターフォードでは、大麦によるウイスキーのテロワールを実践しているということになる。


引用:土屋守,Whisky Galore,ウイスキー文化研究所,2021,5(3),p.42-43.




【問34解説】
2019年時点ので最南端蒸留所は、ウエストコークですが、現在、ジンの製造を行っている「ケープクリアアイルランド蒸留所」が、2016年に最先端のウイスキー蒸留所を建設するための完全な計画許可を取得しました。容量2,500ℓの銅製単式蒸留器3基とマッシュタンを備えた建設中のこの蒸留所が完成すれば、アイルランド島最南端の蒸留所となります。








【問35解説】
順に確認します。
①コニャックメーカーとして有名なカミュ家の5代目、シリル・カミュ氏と、かつてニューヨークのウォール街を席捲したベアリングス銀行の第7代目、アレクサンダー・ベアリング卿の2人がコラボして実現したのが「ランベイウイスキー」です。ランベイとは、ベアリング家が所有するプライベートアイランドのことで、ダブリンの北東沖に浮かぶ周囲10㎞ほどの小島です。元々はヴァイキングが付けた名前で『子羊の島』の意味があります。“ロスチャイルド家”ではありませんので間違いです(×)。

②「ランベイウイスキー」は、ランベイ島でウイスキーを造るわけではなく、ウエストコーク蒸留所から原酒を買ってきて、それを島で後熟させるというものです。従って、“新ミドルトン蒸留所”ではないので、間違いです(×)。

③原酒は、ウエストコーク蒸留所から買ってきて、それを島でカミュが使ったフレンチオークの樽に入れて、海の傍の漁師小屋を改造した熟成庫で後熟させます。従って、これが正しいです(〇)。

④ランベイ島にはアイルランド最大の海鳥繁殖地があり海鳥の保全にとって非常に重要な場所となっています。ランベイがシンボルとしているのはパフィン(ニシツノメドリ)で、そのパフィンがタキシード姿でラベルに描かれています。タキシードは、ベアリング家が考案したスタイルでした。従って、これは間違いです(×)。

⑤ランベイには、アイルランドの他の場所では見られないさまざまな動物・鳥類や、ワラビーのコロニー、300を超える植物の品種があり、動植物の学術的研究に重要な島となっていますが、ネイチャーリザーブ(自然保護区)ではありません。島はベアリング家が所有するプライベートアイランドで、ワラビーは動物園で飼われていたものではありませんので、これは間違いです(×)。



<br>参考:土屋守,Whisky Galore,ウイスキー文化研究所,2021,5(3),p.34-35.




【問36解説】
ピアースライオンズ蒸留所は、1901年に建てられたセント・ジェームズ教会をそっくりそのまま蒸留所に改装し、2017年9月にオープンした蒸留所です。創業したのは、ピアース・ライオンズ氏で、そのまま蒸留所の名前にしました。ピアース氏は、米国・ケンタッキーのレキシントンに「タウンブランチ蒸留所」を創業した人物です。元々、北アイルランドとの国境に近いダンダークの出身で、ライオンズ家は代々クーパレッジを経営する有名な一家でした。ピアースライオンズの蒸留装置は、ワンバッチが200㎏と極小サイズです。スチルはケンタッキー・ルイビルのヴェンドーム社製で、2基のみ。初留(左側)はバジル型ですが、再留(右側)はヴェンドーム社お得意のハイブリッド式。当初はノンピートのモルトウイスキーのみを造っていましたが、現在はポットスチルウイスキーも造っています。生産量はボトルに換算して年間8,000本。2018年3月に創業者のピアース氏は死去されたが、ライオンズ夫人と子供達が経営を引き継いでいます。


ピアースライオンズ蒸留所

<br>参考:土屋守,Whisky Galore,ウイスキー文化研究所,2021,5(3),p.20-21.



【問37解説】
ギネスグループの創始者、アーサー・ギネスは、1725年、キルデア県(州)のセルブリッジという村で、リチャード・ギネスの息子として生まれている。当時父のリチャードはカッシェルの大主教、アーサー・プライスの執事を務めていて、主教のためにビールをつくっていたという。息子の名前はこのプライス師から付けられたもので、アーサー・プライスはアーサー・ギネスの、いわば教父(戸籍上の父)となっている。
 プライス師が亡くなったのが1752年で、アーサーはそのため遺産として100ポンドを受け取った。この100ポンドを元手に、3年後の1755年にアーサーは生まれ故郷のセルブリッジに近いレイクスリップで、本格的にビール造りをスタートさせた。
 ダブリン進出の機会をうかがっていたアーサーにチャンスが訪れたのは1759年で、ビール造りを始めて4年後のことであった。ダブリン市の西の門、セントジェームズゲートに長い間使われていなかった醸造所を見つけ、その建物と土地を年間1ポンドで賃借することに成功したのである。これが現在まで続くギネスのダブリン工場で、リース期間は9000年という、途方もないものであった。この契約書は現在も生きていて、ギネスのビジターセンターであるストアハウス1階の床に、誇らしげに埋めこまれている。当初4エーカー(約5000坪)だった敷地はその後買い増しされ、現在では18倍の68エーカーになっている。なんと東京ドーム6個分の広さである。
 アーサー・ギネスが当初つくっていたビールは英国伝統のエールビール。しかし、1770年代から80年代にかけて、イギリスではポーターというビールが人気を博していた。ロンドンのコベントガーデンなどの市場で働く荷物運搬人(ポーター)が好んだビールで、アーサーはこのポーターに着目して、さらに独自の改良を加えてギネスの黒ビールをつくった。エールをやめ「ポーターのみで行く」と最終的に決断したのが1799年で、このアーサーの決断が、その後のギネス社の運命を決定づけることになった。
 「ギネスといえばポーター、ポーターといえばギネス」といわれるほど、この黒ビールがギネスの代名詞となったからだ。まさにギネス社にとって、「歴史が動いた」瞬間でもあった。アーサー・ギネスはこの決断から4年後の1803年、77歳でこの世を去っている。


アーサー・ギネス
写真出典:Amazon




【問38解説】
①ライターズティアーズ
1999年、バーナードとローズマリーのウォルシュ夫妻によって設立された”Walsh Whiskey Distillery”(ウォルシュ・ウイスキー蒸留所)によるアイリッシュウイスキーです。夫妻は、19世紀の伝統的なアイリッシュウイスキーの製法を再現しつつも、革新的で現代の味覚にあった新たな表現を兼ね備えたウイスキーを作り出しています。現在、「SINGLE POT STILL」「RED HEAD」「CASK STRENGTH」「MARSALA CASK」「INNISKILLIN ICEWINE CASK」「COPPER POT」「DOUBLE OAK」の7製品に加え、さらに3回蒸留したアイリッシュ・シングルモルトを日本のミズナラ樽で熟成させた「JAPANESE CASK」もあります。



②アイリッシュマン
上記と同じウォルシュ・ウイスキー蒸留所のシグネチャーブランドで、現在は世界50ヵ国以上で販売されています。
バーボン樽熟成した3回蒸留のモルトウイスキーとポットスチルウイスキーを7対3でブレンドした「アイリッシュマン ファウンダーズリザーブ(FOUNDER’S RESERVE)」と、3回蒸留のシングルモルトで、バーボン樽とオロロソシェリー樽で熟成させた「アイリッシュマン シングルモルトウイスキー(SINGLE MALT)」などの他に、「SINGLE MALT MARSALA CASK」「12 YEAR OLD」「17 YEAR OLD」「CASK STRENGTH」「FOUNDER’S RESERVE SHERRY CASK FINISH」「FOUNDER’S RESERVE RUM CASK FINISH」の6製品があります。



③ダブリンリハディース
ブリンリハディース蒸留所が「ザ・ダブリナー」「デッド・ラビット」と共にリリースしているブランドです。オーク・デビルは、5年以上熟成したモルトとグレーンをブレンド後、バーボン樽でフィニッシュしたもの。コッパ―・アレイはシングルモルトで、バーボン樽で10年熟成後、オロロソシェリー樽で後熟させたものの2種類があります。



④イーガンズ
1852年にタラモアで創業し、高級ウイスキーで名を馳せたP&Hイーガンズ社。アイリシュの衰退とともに1度は終幕しましたが、2013年に復活しました。①国際コンペで複数の受賞歴を誇るシングルモルト、②ペドロヒメネス樽熟成のノンエイジ、16年熟成の後、バニュルス樽でフィニッシュしたプレミアムブレンド、バーボン樽を使用したライドボディのシングルグレーン、創業者ヘンリー・イーガン没後100年を記念した、XOコニャック樽が奥行のある味わいを生んでいるブレンデッドなどの品揃えがあります。



❺ストラナハン
日本では殆ど見掛けない、アメリカ・コロラド州デンバーにある「ストラナハン蒸留所」で造っているアメリカン・シングルモルトウイスキーです。アメリカにはバーボンとテネシーウイスキーしか無いと思いがちですが、実はモルト原酒100%のシングルモルトも存在します。アメリカン・シングルモルトについては、まだしっかりとした基準があるわけでは無いようですが、原料が大麦100%(ロッキー山脈近辺のものを使用)で熟成はアメリカンホワイトオークの新樽で行なっていることが多いようです。蒸留は単式蒸留を2回行っています。スコッチではアメリカンホワイトオークの新樽で熟成させることはあまり一般的では無いので、その点で特徴が出ているようです。





【問39解説】
グレンダロッホ蒸留所において、ミズナラで後熟されたアイリッシュで最初のミズナラカスクフィニッシュ(シングルモルト)。







【問40解説】
アイリッシュ・コーヒー(Irish Coffee)は、アイリッシュ・ウイスキーをベースとするカクテルで、アイルランド南西部・シャノン川河口の漁村フォインズ(Foynes)にあった水上飛行場で、旅客機の乗客のために1942年に創案されたカクテルです。考案者はフォインズ飛行場のパブのシェフ、ジョー(ジョセフ)・シェリダン(Joseph Sheridan 1909-1962)。
現在、シャノン空港にはカクテル考案者のシェリダンを記念して「ジョー・シェリダン・カフェ」が設けられており、記念プレートも設置されています。
因みに、ベースのウイスキーをスコッチ・ウイスキーにすると、ゲーリック・コーヒーに名称が変わります。



【問41解説】
アイルランドの国花は、北アイルランドと同じ、シャムロック(シロツメ草)です。

写真出典:植物ずかん



【問42解説】
シングルポットスチルウイスキー(ピュアポットスチルウイスキー)は、アイリッシュポットスチルウイスキーやピュアポットスチルウイスキーとも呼ばれる、アイリッシュ伝統の製造法です。
原料は大麦麦芽(モルト)30%以上、未発芽大麦30%以上、そのほかの穀物(ライ麦やオーツ麦など)の使用は全体の5%未満です。原料は大麦麦芽以外の穀物の殻が固いため、石臼で粉砕してから糖化します。さらに、大麦麦芽100%ではないため、糖化に長い時間がかかります。これが 「オイリー」と評される、アイリッシュ独特のクミーリーな舌触りやのどごしにつながります。
銅製ポットスチル(単式蒸留器)で3回蒸留された後に熟成され、スコッチのシングルモルトと同じように樽で売られたり、ブレンデッドウイスキーのキーモルトとなり、グレーンウイスキーとブレンドして販売されたりします。
代表的なポットスチルウイスキーとしては、以下のものがあります。
・Green Spot「グリーンスポット」
・Powers「パワーズ・シグネチャーリリース」
・Redbreast「レッドブレスト12年・15年・21年」
・Single Pot Still Irish Whiskey Finished in Virgin Hungarian Oak「バージン・ハンガリアン・オーク・フィニッシュ」
・Single Pot Still Irish Whiskey 28 Year Old Ruby Port Pipe Single Cask 28年「ルビー・ポート・パイプ シングル・カスク28 年」

問題の銘柄を仕分けすると、
レッドブレスト(ポットスチルウイスキー)
・インチデアニー(スコットランド・ローランドのファイフ地方の、グレンロセス郊外に2015年にオープンした蒸留所。水素を燃料としてボイラーを稼働させて、スコッチ初の蒸留所としてチャレンジしている蒸留所)
・ブラックブッシュ(ブレンデッド)
・ターコネル(シングルモルト)
・スレーン(ブレンデッド)
グリーンスポット(ポットスチルウイスキー)
・タラモアデュー(ブレンデッド)
・パディー(ブレンデッド)
・ワイルドギース(ブレンデッド)
従って、ポットスチルウイスキーは、2銘柄のみ。



【問43解説】
1878年、ダブリンを拠点とする最も影響力のある4つのアイルランドの蒸留所、
ジョン・ジェムソン&サンズ、
ウィリアム・ジェムソン&カンパニー、
ジョン・パワー&サン、
ジョージ・ロー&カンパニー
が「ウイスキーについての真実(Truths About Whisky)」を出版し、連続蒸留方式に対する嫌悪感を表明しました。
19世紀後半から世界を席巻するようになったブレンデッドスコッチウイスキー生産者を牽制したのです。

引用:九郎助商店(くろすけしょうてん)通販サイト<br>続きをご覧になりたい方は、コチラ➡



写真出典:Amazon



【問44解説】
①W.Bイェーツ
ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats, 1865年6月13日 - 1939年1月28日)は、アイルランドの詩人・劇作家。幼少のころから親しんだアイルランドの妖精譚などを題材とする抒情詩で注目されたのち、民族演劇運動を通じてアイルランド文芸復興の担い手となりました。モダニズム詩の世界に新境地を切りひらき、20世紀の英語文学において最も重要な詩人の一人とも評されています。1922年から6年間、アイルランド上院議員も務め、1923年にはノーベル文学賞を受賞。日本では能の影響を受けて執筆した戯曲『鷹の井戸』や、初期の抒情詩「湖の島イニスフリー」などがとくに広く知られています。


写真出典:Wikipedia

②バーナード・ショー
ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 - 1950年11月2日)は、アイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。ヴィクトリア朝時代から近代にかけて、イギリスやアメリカ合衆国など英語圏の国々で多様な功績を残した才人として知られています。



③ジョナサン・スウィフト
ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift、1667年11月30日 - 1745年10月19日)は、イングランド系アイルランド人の諷刺作家、随筆家、政治パンフレット作者、詩人、および司祭。著名な作品に『ガリヴァー旅行記』『穏健なる提案』『ステラへの消息』『ドレイピア書簡』『書物合戦』『桶物語』などがある。スウィフトは英語の散文で諷刺作品を書いた古今の作家のなかでも第一級といってよいだろうが、詩作のほうはそれほど知られていない。彼は当初すべての著作を、レミュエル・ガリヴァー、アイザック・ビッカースタッフ、M・B・ドレイピアなどの筆名で、もしくは匿名で発表した。1976年から発行されていたアイルランドの10ポンド紙幣に肖像が使用されていた。
1689年のアイルランドにおけるジャコバイト反乱の後で、スウィフトは有力な外交官兼議員ウィリアム・テンプル卿の庇護を受けてイギリスに逃れる。続く十年、スウィフトはテンプルの秘書を務めた。その間、オックスフォードで学士号を取り、アイルランドのエピスコパリアン教会の司祭となり、テンプルの若き被後見人エスター・ジャクソンこと「ステラ」の家庭教師となる。
テンプルが 1699年に没し、スウィフトはアイルランドに戻って、教会の各種役職に就いた。1704年に書いた風刺小説二編―― Tale of the Tub と Battle of the Books――のかげで、ある程度の名声(とある程度の敵)を獲得。<br>生涯ホイッグ党支持者ではあったが、ホイッグ党と教会との対立が高まる中で、スウィフトは 1708年にホイッグ党に対して一連のパンフレットによる攻撃を開始する。1710年には、スウィフトは完全にトーリー党に乗り換えて、その才能をトーリー党のために縦横に活用する。スウィフトはトーリー派雑誌 The Examiner を乗っ取って、1711年のパンフレット数枚によってイギリス世論を「ホイッグ」のスペイン succession 戦争反対に向ける。<br>アン王女が 1714 年に死んで、トーリー党は第一党でなくなり、スウィフトはアイルランドに戻った。その後一生を、ダブリンの聖パトリック大聖堂の司祭長として過ごす。
愛するステラの死後、スウィフトは元気をなくし、晩年はだんだん精神的に不安定となって、1745 年に没した。アイルランドの愛国者、およびホイッグ党政策に対するトーリー党からの批判者としての役割を果たしたスウィフトは、ウィリアム・バトラー・イェイツの詩「七賢人」および「スウィフトの墓碑銘」で褒められている。


写真出典:Wikipedia
引用 :Wikipedia

④JM.シング
ジョン・ミリントン・シング (John Millington Synge,1871年4月16日-1909年3月24日)は、アイルランドの劇作家・詩人・小説家、フォークロリスト(民俗文化研究者)。アイルランド文学復興運動とアベイ劇場設立者の一人として知られる。カトリック教徒が大半を占めるアイルランドで、中流プロテスタント(シング家は、英国国教会:アイルランド国教会)の視点から、細かな現実を厳しく観察する目と、アイロニーにみちた簡潔な表現を身につけました。アイルランドを理想化する傾向が盛んであった文学運動のなかで、強い風刺の精神を貫き、通俗性と芸術性を兼ね備えた独自の文体で、典型的なアングロ・アイリッシュ文学を生み出した功績は大きい。



⑤ビアトリクス・ポター
ヘレン・ビアトリクス・ポター(英: Helen Beatrix Potter、1866年7月28日 - 1943年12月22日)は、ピーターラビットの生みの親として知られるイギリスの絵本作家。ヴィクトリア時代の上位中産階級に生まれ、遊び相手も少ない孤独な環境で育つ。教育は家庭で行われ生涯学校に通うことはなかった。幼いころから絵を描くことを好み、多くのスケッチを残している。さまざまな動物をペットとして飼育し、キノコにも興味を持ち学会に論文を提出したこともあった。絵本作家としての原点は、1902年に出版された『ピーターラビットのおはなし』[注釈 1]で、これは元家庭教師の子どもに描いて送った手紙が元になっている。39歳で婚約するが、わずか1か月後に婚約相手が死去する。その後、たびたび絵本にも登場する湖水地方において念願の農場を手に入れ、47歳で結婚した。結婚後は創作活動も少なくなり農場経営と自然保護に努めた。死後、遺灰はヒル・トップに散骨されている。
創作活動の期間は十数年と長いものではなかったが、ピーターラビットの絵本シリーズは児童文学の古典として、世界各国で親しまれている。持ち前の観察力により生き生きとした動物を描き、秀れた絵と文で構成された作品の裏側にはポターの束縛と抑圧からの解放、自由への憧れが込められていると見るものもいる。自身のプライバシーを守ることに厳しく、散骨場所は夫にさえ教えなかったため不明となっている。関連商品の販売を提案、積極的な著作権の管理など実際家としての一面も持つ。湖水地方特有の羊、ハードウィック種の保護、育成に尽力し、羊の品評会では数々の賞を獲得するなど畜産家としても成功を収めた。生前から設立されて間もないナショナル・トラストの活動を支援しており、遺言によりナショナル・トラストに寄付された土地は4000エーカー以上であった。


引用:Wikipedia



【問45解説】
『ユリシーズ』(Ulysses)は、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日にパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。20世紀前半のモダニズム文学におけるもっとも重要な作品の一つであり、プルーストの『失われた時を求めて』とともに20世紀を代表する大長編小説とみなされている。
 物語は冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日(1904年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスのラテン語形の英語化であり、18の章からなる物語全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を持っている。例えば、英雄オデュッセウスは冴えない中年男ブルームに、息子テレマコスは作家志望の青年スティーヴンに、貞淑な妻ペネロペイアは浮気妻モリーに、20年にわたる辛苦の旅路はたった一日の出来事にそれぞれ置き換えられる。また、ダブリンの街を克明に記述しているため、ジョイスは「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったという。

ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce)


写真出典:Wikipedia




【問46解説】
順に、
・アードナッホー(スコットランド・アイラ島)
アビンジャラク(スコットランド・ルイス島) 
キングスバーンズ(ローランド)
ハイウッド(カナダ・アルバータ州)
・ティパレイリー(アイルランド)






【問47解説】
ケルズの書は、8世紀に制作された聖書の手写本である。「ダロウの書」、「リンディスファーンの福音書」とともに3大ケルト装飾写本のひとつとされています。アイルランドの国宝となっており、世界で最も美しい本とも呼ばれています。
縦33cm、横24cm。豪華なケルト文様による装飾が施された典礼用の福音書で、四福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)が収められています。言語はラテン語で、文字はインシュラー体。
イギリス、またはアイルランドのコルンバ修道院で制作され、グレートブリテンとアイルランドの両方からのさまざまなコルンバ修道院からの貢献があった可能性がある。西暦800年頃に制作されたと考えられている。福音書は主にウルガタから引用されているが、古ラテン語聖書として知られている以前の数々のラテン語聖書の総体から引用された聖句も含まれている。西洋書道の傑作であり、インシュラー芸術の頂点である。また、アイルランドの最高の国宝の1つとして広く知られている。ケルズ修道院で完成されたため、ケルズの書と呼ばれた。
ケルズの書の挿絵と装飾は、他のインシュラー福音書よりも豪華で複雑である。装飾は伝統的なキリスト教の図像とインシュラー芸術に典型的な華やかな渦巻き模様のモチーフを組み合わせている。人間、動物、神話上の獣、ケルト族の結び目、鮮やかな色の織り交ぜられた模様が、写本を活気づけている。これらの小さな装飾要素の多くは、キリスト教の象徴性があるため、主要な挿絵をさらに強調している。
今日の写本は340枚の一葉で構成されており、表面と裏面の合計680ページがある。1953年以来、4巻にまとめられている。写本は高品質の子牛のベラムで出来ており、装飾された落し大文字と装飾画で全10ページの挿絵と文書が含まれている。インシュラー体は、少なくとも3人の写本筆写者の作品であるように見える。レタリングは没食子インクで書かれており、使用されている色はさまざまな物質に由来しており、その一部は遠方の土地から輸入されたものである。
現在は、アイルランドのダブリン大学のトリニティ・カレッジ図書館に所蔵されており、4巻のうちの2巻が常時展示されている。デジタル化されたバージョンもオンラインで見ることができます。

参考:Wikipedia




【問48解説】
順番に確認します。
①②ラグビーアイルランド代表は、アイルランドラグビー協会 (IRFU) によって組織されるラグビーユニオンのナショナルチームで、アイルランドが南北に分かれる以前からIRFUが存在していたため、アイルランド共和国および北アイルランドから選手が選出されます。

③2019年9月20日から11月2日に日本で開催された第9回ラグビーワールドカップ。ラグビーワールドカップ2019開幕時点では史上初の世界ランキング1位となり、優勝候補の一角として大会に望んだ。

❹プールステージでは開催国の日本に敗れ2位で通過し、準々決勝で対戦したニュージーランドに大敗。初のベスト4進出はならなかった。
同じプールAには、アイルランド、スコットランド、日本、ロシア、サモアの5ヵ国が入っており、試合の勝敗による勝ち点などでプール内での順位が決まり、上位2チームが決勝トーナメントに進出し、プール3位にはラグビーワールドカップ2023年大会が免除される。

⑤エンブレムはシャムロックで皆同じユニフォームです。








【問49解説】
ダブリンのビッグ4であった、ジョン・パワーズ(John Powers)のジョンズ・レーン(John's Lane)蒸留所は1976年には閉鎖され、同じくジョージ・ロー(George Roe)のトーマス・ストリート(Thomas Street)蒸留所、1878年にDCL社がダブリンに設立したフェニックスパーク蒸留所も1921年に閉鎖してしまい現在は残っていません。
従って、選択肢の中で現存する蒸留所は、②ブラックウォーターと③ピアースライオンズだけですが、ブラックウォーターはダブリンよりも約177km南西に所在します。






【問50解説】
アメリカのクラフトが造るのがムーンシャインで、アイリッシュが造るのが「ポチーン」だ。ムーンシャインもポチーンも、もとは密造酒のことだが、なぜアイリッシュはポチーンなのか。そもそもポチーンとはどういう酒なのか—。
ポチーンは“小さなポットスチル”、Poteenから派生した言葉で、もとは密造酒のことを指していたが、19世紀から20世紀初頭にかけて、アイルランドでは広く造られるようになった。当時、度重なる酒税法の改訂と重税で、アイルランドでは“パーラメントウイスキー”と、ポチーンの2つが存在するといわれた。パーラメント(議会)ウイスキーとは文字どおり、政府の許可を受けた公認蒸留所で、ポチーンは密造酒である。アイルランドはウイスキーの原料である大麦麦芽に高い税金がかけられたし、やがて『ポットスチル法』によって、スチルのサイズ別に税金がかけられるようにもなった。麦芽に対する税金に対抗するために取られたのが、麦芽以外の穀物も混ぜて仕込みに用いるポットスチルウイスキーで<br>19世紀以降、アイリッシュではこれが主流となった。スチルのサイズによる課税は、サイズが大きくなればなるほど、税が優遇された。理由は密造用に使われる小さなスチルをなくすためである。そのためアイリッシュの業者はスチルを大きくし、そして麦芽以外の穀物も混ぜる独特のスタイルを確立した。これがパーラメントウイスキーで、メジャーな蒸留所と、そのブランドは、ほぼすべてがこれである。
ポチーンの歴史は、アイルランドに蒸留酒文化が伝わった6~7世紀頃からあるといわれるが、かつてはどの農家でも、このポチーンを造っていた。
16世紀になって、蒸留には免許がいるようになり、18世紀には農家の自家製ポチーンが禁止されたが、それでポチーン造りが消えたわけではない。逆に前述の法によって、都会部からアイルランド西部にのがれる業者も続出し、19世紀半ばから20世紀にかけて、“ポチーンの黄金時代”といわれる時代がつくられた。<br>この頃、ポチーン造りの中心といわれたのが、コノート地方のドニゴールやスライゴー、そしてメイヨーなどの各州である。ドニゴールはもともとスコッチとの結びつきも強く、独自のポチーンを育んできたが、ほとんどは地産地消。対してスライゴーはポチーン造りと流通の中心として栄えたという。ポチーンはウイスキーと違って樽熟成をさせない、無色透明のスピリッツである。しかし原料は、ほぼ麦芽100%で、しかも小さなスチルで2回蒸留。パーラメントウイスキーとは対照的で、味ははるかに美味しかったという。ましてや税金を払っていないのだから、ウイスキーに比べて安価で、アイルランドの民にとって、これが彼らの“ウイスキー”だった。<br>その中心地がスライゴー湾の沖にあるイニッシュマレイという小島で、ここのポチーンは、ポチーンの代名詞といわれるほど名を馳せたという。この島のポチーン造りは1948年まで続いたというからスゴイ。この年、最後の島民が去り、現在は無人島となっている。アイリッシュのクラフト蒸溜所がこぞってポチーンを造るのは、それが貧しいアイルランドの民の酒だったからであり、それが文化だという想いがあるからだろう。ちなみにポチーンは現在、GI認証を受けている。つまりアイルランド以外ではポチーンは造れないのだ。

地理的表示(GI: Geographical Indication)とは、知的財産権の一つであり、国連の世界知的所有権機関(World Intellectual Property Organisation=WIPO)によれば、「特定の地理的起源(原産地)を有し、その原産地に由来する高い品質や評価を備える製品に用いる表示。GIは、対象製品が、当該地を原産とするものであることを明示しなければならない。同時に、その製品の品質、特徴、評判が、主として原産地に起因するものでなければならない。その品質が原産地に由来することから、製品と原産地の間に明らかな結びつきがあるとする」と定義されています。
WIPOが管理する知的財産権に関する条約の一つである「原産地名称の保護および国際登録に関する協定」(略称「リスボン協定」)は、特定の場所を原産地とする生産物を表示する「原産地名称(Appellations of Origin)」の国際登録制度を定めています。この制度は、加盟国が自国で保護している原産地名称が他の加盟国においても保護されることを可能にするものです。リスボン協定は2015年5月末に改正され、原産地名称に加え全てのGIの保護にも適用されることになったほか、EUをはじめとする政府間組織にも加盟の道が開かれることとなりました。
日本はリスボン協定に加盟していませんが、日本政府は、日本の農産品や醸造酒(ワイン類)・蒸留酒(スピリッツ類)の国外での売り上げや評価を高めようと、2015年6月1日に、農産品全般を対象とする独自のGI制度を導入しました。具体的には、「特定農林⽔産物等の名称の保護に関する法律(GI 法)」や、商標法、消費者保護法などによって、第三国において日本のGIが保護されるようになりました。



参考:EUROPE MAGAZINE


令和3年10月7日現在、国内でGI登録されたものは107産品に留まっていますが、日本のクラフト蒸留所のスピリッツも、積極的に登録すべきだと当サイトの管理人は考えます。





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